仕事に行きたくないなぁという日があります。
そもそも、頑張っても頑張らなくても給料(時給)は変わらず、日々ちゃんと仕事をしたところで、それで得たお金は生活するだけのために蒸発していく現状。
私の仕事は、オフィス系ブルーワーカー。
内容は、簡単な資料整理とパソコン入力です。
職場のピラミッドの底辺にいるし、特別な知識も経験も必要なく、ぽっと来て出来るような単純作業。
職場や仕事に大きな不満やストレスがあって、行きたくないというよりも、どうでもいいような仕事だよなぁ、またこんなつまらない仕事行くのか、という意味で、たまに無性に仕事行きたくないな~と思うことがあります。
そんなとき、どうやって自分の気持ちを奮い立たせて仕事に行っているのかと思い返してみると、、、
どんなに安い日給でも、それがないと生活できないことを思い出す。
仕事もまともにできない自分が、息子に偉そうに言えないよなぁと思う。
私の場合、今はこの二つが仕事を続けるモチベーションです。
仕事、別にサボってもいいとは思うんですが(1日サボろうがちゃんといこうが、赤字家計であることに変わりはない)、でも実際サボったことは一度もない。
行きたくないからって、行かない、には決してならない。
何でだろう?と自分で考えてみるに、
それは自分らしくないからだと思います。
なんとなく自分に負けた気がするというか。
中学生の頃、親を亡くして、世の不平等・理不尽を感じて、一切が馬鹿馬鹿しく、そのとき、学校にも行きたくない、と思ったんですが、不登校にはならなかった。そこで行かなかったら、自分にとって大きな負い目になるという予感がありました。そこで、どんな目で見られようと、どんなに嫌なことがあろうと、「意地でも行ってやる」と思いました。
そこから、中学、高校と、学校生活はよっぽど具合が悪いとき以外は休みませんでした。甘える相手がいないこともあったと思いますが、半分はムキになっていたと思います。そして社会人になっても、その習慣は変わらず。もちろん休まないことで、スキルは積みあがっていくし、社会人としては当たり前のことではありますが。
でも、そういう習慣が今の”自分らしさ”の一端を作っていることは確かだと思います。
40歳を過ぎて、判断に迷うことがあったときは、「自分らしいかどうか」で決めるようにしています。どっちの選択をした方が自分らしいか、判断の基準をそれ一つに絞ると、物事がとてもシンプルになります。
自分が何者か、模索中だった10代~20代にはこういう考え方はできませんでした。でも、ある程度”自分”というものがわかってきた気がする今は、そういう基準で決めるのが、一番納得がいく答えが出せるよう思います。
今日は仕事に行きたくない。けど、行く。
理由はいろいろあるけど、一番手っ取り早い理由は、”それが私”だから、という感じでしょうか。
他の人の理由も聞いてみたいところです。
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