”育児に正解はない”は正しい?




子どもを保育園に預け、集団生活をさせるようになると、先生方から、色々なことを言われます。

「ご飯を好き嫌いなく食べますね」「他のお友達とあまり遊ぼうとしません」など。

赤ちゃんの頃は、首が座った、寝返りした、ハイハイした、などできることがどんどん増えていくし、親の欲目で「かわいいかわいい」と育てていました。

が、保育園に入れて容赦なく訪れた、相対的評価

親にとっては一人目の子、絶対評価しかないので、ここに来てはじめて、保育園の先生方から相対的な子どもの印象を聞いて、「えっ、そうなの!?うちの子だけなの?」と思うことも。

そして保育園の先生から、家庭環境が影響していると匂わせられると、もちろんいいことは嬉しいのですが、良くないことは、「もっと違う風にすればよかったのでは」と自分の育児を顧みてしまいます。

家の子どもの場合、今私が保育園の先生から言われて気にしているのが、友達との関わりが少なく、不器用だという点。

家の子どもの場合は、ほぼ1歳から保育ママさんのところで集団保育がスタートしていて、その当初から言われていたことではあるため、子どもの本来の性格もあると思っているんですが、私が近所に家族も知り合いもおらず、1歳すぐから働きはじめて、生まれてから、他の子どもと一緒に遊ばせる機会が少なかったのは事実。

なので、「私のせいもあるかな」と思ったりもしています。また、今後はより自分の育児環境のデメリットを踏まえて、育児していかないといけないな、とも。

そんな自分の育児に、自信がない中で、耳にすると少し違和感を覚えるのが

育児に正解はない

という言葉。

子どもの性格、個性は人それぞれ、そしてそれに対になる親もそれぞれ。子ども×親の組み合わせは無限大。だから「これ」という正解は存在しない。ベストな育児も親や家庭によって千差万別、という意味であるだろうことは理解できます。

ただ、子どもを前に、どうしたらいいのか途方に暮れている人が聞きたいのは、こういう言葉ではない。「育児に正解はない」は正論ではあると思いますが、それでもやっぱり、どうすれば事態が改善するのか、具体的な方法が知りたいのです。

育児はとても親密な関係の中で行われるもので、他者が容易に介入できるものではありません。私が子どもの頃よりもさらに核家族化・個人主義化は進みました。姑や舅の干渉などが少なくなるなど、育児の自由度は増したと思いますが、育児の悩みに踏み込んで、アドバイスしてくれる存在もいなくなってしまったと思います。

育児に正解はない、だけどやっぱり悩んでしまう自分がいる。。。なら、それでいいと私は思います。悩んで、それでも子どもの笑顔をもっとたくさん見たいから、一生懸命試行錯誤して、もがいてあがいて、それでやっと自分たちなりの”答え”に近いものを見つけられるような気がします。




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