育児に疲れてしまうときってありますよね。
そんなときは子どもが産まれた頃のアルバムを見たり、子どもが小さい頃に描いてくれた絵や手紙を見て心を和ませる人が多いことと思います。
私も次々と襲い来る育児の課題に振り回されている日々(現在息子は小1)。
ここで初心にかえって、子どもを産んで、嬉しかったことについて振り返ってみたいと思います。
同じく育児に悩んでいる方に共感していただけたり、子どもを持とうか悩んでいる方の参考になれば幸いです。
「ママ」と言ってもらえることの大きさ
当たり前ですが、自分のことを「ママ」「お母さん」と言ってくれる存在ができたこと。
初めて息子が私のことを「ママ」と言ってくれたときの衝撃を私は忘れることはないと思います。
誰でも自分以外の誰かに「認めてもらいたい」という欲求があると思いますが、自分の子どもに「親」として認められる、という感覚は、親・兄弟に認められるというのとも、友達に認められるというのとも、職場で認められるというのとも全く違う、本当に不思議で、だけど恐ろしく力強い「承認」だと思いました。
普段改めて意識することはないですが、社会には自分を必要としてくれる人がいて、その人たちのために自分は”この世界にいていい人間なんだ”と思っています。
その必要としてくれている人の第一位が、親や配偶者から、別の存在に置き換わった、その衝撃だと思います。
自分と世界を強固に結びつける楔(くさび)が新たに打たれ、自分が生きることにより確かな手応えを感じることができるような気がしたのです。
もちろん自分と世界はそれまでもつながっていたのですが、息子に母と認識されることで、よりそのつながる力、世界が自分をひっぱる重力が強くなった感じがしたのです。
これは本当に不思議で素晴らしい体験でした。
今これを書いていて、改めて頬をつねりたくなりました(実際つねってみました、痛くてほっとしました(^^))
その子の”はじめて”に立ち会えること
親として子どもと関わるということは、それは一人の人間の「はじめて」に逐一立ち会えることだと知りました。
例えば子どもがはじめて言葉を覚えたら、ママ、と呼びかけてくれる。
はじめて文字を覚えたら、「ママ抱っこしてくれてありがとう、パパ遊んでくれてありがとう」と手紙を書いてくれる。
はじめてアイスを食べたときの表情や、はじめてかき氷の美味しさを知ったときの表情も見ることができる。
はじめてトイレでおしっこができたとき、はじめてがらがらうがいができたとき。
一緒に取り組む”はじめて”もあれば、自然とできちゃう”はじめて”もあるけれど、
子どもの「はじめて」は、親にとっても目の前の世界を一瞬、強烈に鮮やかにするような新鮮な驚きと感動を与えてくれる。
それは子どもが自立しても同じ。
はじめての就職。はじめての結婚。はじめての子育て、、、
子どもとのやりとりは少なくなっても、
子どもの”はじめて”を遠くから見守る人生は続いていく。
そういう幸せの種類があることを子どもに教わりました。
こう書いてきて、子どもと一緒に生きる人生が、いかに特別で奇跡的なことなのか、改めて感じることができました。
忙しい日々の中でも、子どもと過ごすことに感謝することは大切ですね。