発達障害傾向のある8歳(小3)息子、学校で求められるレベルも徐々に上がってきて、家で注意したり、頑張らせることが増えてきました。
でも、親はこうしなさい、ああしなさいってことが言いたいんじゃなくて、本当に一番伝えたいことは、
この先、乗り越えられないと感じる壁にぶつかって落ち込むことがあっても、あなたはそのままで十分素晴らしいから、それを絶対に忘れないでほしい、ってこと。
生きてるだけで価値がある、ってことを忘れないで欲しいんです。
わりと耳にする言葉ではありますが、発達障害の特性があって、他者に注意されたり、劣等感を感じることが人一倍多い子どもや大人には、こういう基本の部分が、とても大事だと思うので深堀りしてみました。
目次
”生きているだけで価値がある”と信じることのメリット
メリット1 窮地に立たされても、生きることをあきらめない
生きているだけで価値がある、と信じるメリットは、そう信じたら、自分がどんな状況、境遇になっても、自暴自棄になったりしないということ。
いっとき落ち込むだろうけれども、そこから必ず這い上がれる。
出来ないことが多くたって、失敗が多くたって、他者に評価されなくたって、むしろ批判されたって、自分の価値は失われない。
自信と誇りを持って、この世に存在し続けられる。
メリット2 他者に寛容になれる
生きているだけで価値がある、と信じれば、他者に対しても寛容になれる。
他者を自分の価値観や、好き嫌いで評価することとはあるかもしれない。
でも、どんな人にも、生きているだけで価値があると信じることができれば、他者を必要以上に恐れて、自分らしさを失ったり、相手を攻撃したりすることはしないだろう。
他者の権利を脅かさない、これは意外と難しい。でも、生きているだけで価値があるという考えが根底にあれば、自然と相手を尊重できる。
”生きているだけで価値がある”と私が思う理由
そもそもどうして私がそう思えるのか。
あえて言葉にしてみると、こういうこと。
ミクロ視点:みんな誰かの生きる希望だから
どんなに自分が嫌いな相手でも、その人にもお父さん、お母さんがいて、おじいちゃんおばあちゃんがいる。可愛がられてきたり、頼られていることが圧倒的に多いです。身寄りがすでにない人でも友達や気にかけてくれている人はいます。
人間は多面的なので誰かにとっては憎むべき人であっても、誰かにとってみたらかけがえのない人だし、いいところがあるし、その人がいるから自分は生きていける、という相手がいる場合がほとんど。
だとしたら、目の前の”嫌な人”の嫌なところだけを見るんじゃなくて、その背後にいる複数の人たち丸ごとへの敬意をもって、その人を見るということが大事。
そしたらその自分は最初嫌だと思った相手のことも、許せるような気持ちがするし、応援してあげたい気持ちもするようになってくる。
マクロ視点:生物の多様性が種の存続や生態系を支えているから
大きな視点で考えると、生物の種の多様性は、必要だから。
地球の生き物全て。想像もつかないような数の種があって、様々な個体がある。環境に適応していて自分の遺伝子をたくさん残せる個体が優秀と考えがちだけど、その種だけが繁栄し、増えすぎてしまうと、生態系全体に悪影響を与えてしまう。
また、環境が一変して、種が絶滅しかけても、新しい環境に適応して進化している個体があれば、種の存続が保たれる。
そう考えると、多様性は地球の生態系の維持や種の存続のための保険として確実に必要なのだと思える。
おそらく人間の繁栄にまったをかける個体が一定数いないと、バランスが悪いのだ。環境の中でうまく適応できずに、生きづらさを感じていても、それが人類を、地球を救っていると考えれば、少しは勇気が出るのではないだろうか。
だからどんなに不器用でも変わり者でも、大多数に笑われたって、胸を張って堂々と生きていい、と思う。
”生きているだけで価値がある”と我が子に思ってもらう方法
と、私自身は「生きているだけで価値がある」と信じています。というか、信じたい。
これをそのまま息子に言っても、小3の息子にどこまで伝わるかは微妙ですが。
我が家では以下のようなことを心がけ、「僕は存在するだけで価値がある」ということが伝わってくれるといいな~と思っています。
”生きているだけで価値がある”を感じてもらう方法例
アルバムをいつも目につくところに置く
生れたときから今までのアルバムを、子どもがすぐ手にとれるところに置いておいたり、親や祖父母からの子どもへのプレゼントを目につくところに置いておくのはいいと思います。
写真を見ると、その写真を撮った人の温かい眼差しも同時に感じ取れるものです。
何かをしなくても、子どもには存在それだけで愛されているということが、伝わっていくような気がします。
ありがとう、をできるだけたくさん言う
やっぱり身近な人間が、子どもの存在を肯定し、感謝を伝えていくこと。
朝、一人で起きてこられたら「ありがとう」だし、朝ご飯をもりもり食べてくれても「ありがとう」だし、勉強にとりかかってくれても「ありがとう」。
「眠い」とか「行きたくない」って言ってても本音を言ってくれて「ありがとう」。
どうしても小言ばかりになっちゃうので、「ありがとう」はよほど意識しないと言えません。
でも、スマイル0円、ありがとうも0円。
お金も時間もどっちもなくても、ありがとうは無限に言える。
「幸せ探し」を習慣にする
私が子どもの頃、テレビで「愛少女ポリアンナ」というアニメシリーズが放映されていました。
母親に続き父親を亡くして、それまでの裕福な暮らしから一転、孤児院で暮らすことになったポリアンナなんですが、幸せ探しをしながら、苦労や困難をたくましく乗り越えていくんです。
そんな不幸な状況で、幸運だって考える⁉
と毎回衝撃を受けていました。
詳しくは忘れましたが、孤児院で豪華ではなくても毎度温かい食事が食べられる、とか、両親はいなくても会いに来てくれる親戚がいる、とかだったような、、、
大人になっても、「幸せ」というのは、特定の環境を言うのではなく、幸せを感じられる気持ちがあるかどうかなんだということを度々再確認することがあります。
息子が嫌なことや悲しいことがあって、ネガティブな気持ちにとらわれていたとしても、最終的に「でも、〇〇な点はすごく良かったね、ラッキーだったね」と必ず「幸せ」を見つけて伝えるようにしたいと思います。
愚痴ばっかり言っていると不幸な人生だし、幸せ癖をつけて「幸せ、幸せ」って言っていると本当に幸せな人生になってくるものだから。