一通り料理はできるけど、老後は人の作ったご飯が食べたい、という話。【料理好きの老後リスク】

老後は人が作ってくれたご飯を食べたい
老後は人が作ってくれたご飯を食べたい




料理スキルはありがたいけれど人が作ったご飯ほど美味しいものはない

料理スキルは最高のライフハックで、できれば身に着けたいと考えている人が多いのではないでしょうか。

かくいう私も、若い頃収入に余裕がなくて、でも美味しいものが食べたくて、なんとか自分で試行錯誤して30年余り、大方のものが作れるようになりました。

でも、家庭の主婦になると、毎日三度三度のことなので、本当に飽きる。。。

死ぬまで台所に立ちたいかというと、そんなことは全くなくて、体がしんどくなったり、気力がわかない高齢者になったら、食事つきの老人マンションや老人ホームに入って、ひと様の作ってくれたご飯を食べるほうがずっと幸せだなぁと思うこの頃。私は好き嫌いもありませんし。

高齢者の孤食は問題になっているようですが、施設の食堂で誰かと食べるなら、孤食も回避できます。

「料理をしなくなる」=「衰え」「認知症の始まり」!?

ところが世間では、それまで頻繁に料理をしていた高齢者が急に料理をしなくなると、鬱病や認知症の前兆だった、なんて話がわりと一般的なようです。

まぁ、掃除とかもそうですよね。久々に帰省した子どもが、「前はあれだけ家を綺麗にしていたのに」と親の老いに愕然とする。

ということは、「〇歳になったので私、料理やめます」みたいなのは、自分的にはすっきりできるけど、周囲はいらぬ心配をする可能性があるんですね。
心の中では「40年間毎日飯炊きして、もう懲り懲りだから余生は一切やりたくない」と思っても、表向きにはあくまで段階的に、少しずつ自炊を減らしていった方が、周囲との軋轢は避けられるかもしれません。
老いるということも面倒なんですね💦

「料理好き」の思わぬリスク

自分で作って、自分で食べる、って自己完結している行為に見えます。
また、専業主婦なら外に出て働かない分、家族の家事を代わりに担うことで配偶者との対等な関係を築いています。
でも、自分一人だったら作らないものを家族のために作る生活が続いたら(例えば家族のお弁当とか子どもや配偶者のための特別メニューとか)、五分五分だった思いが、どこかで「なぜ私ばかり毎日ご飯を作らないといけないの」という思いにならないとも限りません。

家計を支えている世帯主に「もう十分働いたから、来年からは働きたくない」という時期がくるように、いくら料理好きとは言え「もうやりたくない」という時期は来ると思います。家事に定年はないとは言え、死ぬまでやる必要もない。

少なくとも今、私には自分で作るより、誰かに作ってもらった方がおいしくいただける、という未来の方が想像がつく。
高齢になって突然そうなって周囲を困惑させないように、今から少しずつ、料理の手を抜いていったり、段階的にやらないことを増やす計画を立てたいな、と思うこの頃です。